メールマガジン「和服の基礎知識」バックナンバー〈009〉 |
←第8号 ▲目次 第10号→ |
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
● ●
○ ●○● 和服の基礎知識 ●○● 〜日本文化を愉しむために〜 ○
● 第9号 2003/10/30発行 ●
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
———————————————————————————————————
【七五三の晴れ着】(しちごさんのはれぎ)
———————————————————————————————————
◆七五三(しちごさん)
数え年で男子は三歳と五歳、女子は三歳と七歳とに当たる年の十一月十五日に
行う祝い。晴れ着を着せて、氏神(うじがみ/住んでいる土地の守り神)など
に参拝して子供の成長を願います。
明治から大正時代に庶民に広まった行事です。
現在は、女の子が三歳と七歳、男の子が三歳と五歳の年にお祝いします。
と、言っても祝い方はそれほど厳密でなく、
少し年齢がずらして兄弟一緒に祝ったりします。
参拝もたいてい十一月十五日前の都合のいい日に行われます。
−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−
◇七歳
《帯解き》おびとき
幼児がそれまでの付紐(つけひも/着物の衿に縫い付けてある腰紐)をやめ、
はじめて帯を用いる祝いの儀式。
現在は七歳女児のお祝い。
長着は、肩揚げした本裁ちの振袖。腰揚げはしないで、おはしょりを作ります。
伊達衿(飾り衿)をつけます。
帯芯の入った結び帯。帯の上部に絞りの帯揚げ。
帯の上から丸絎(まるぐけ)の帯締め。帯の下にしごき(抱え帯)を結びます。
懐に扇子と筥迫〈函迫〉(はこせこ/懐紙を入れる飾り箱)を挟みます。
足元は白足袋にぽっくりか草履をはきます。
−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−
◇五歳
《袴着》はかまぎ
男児に初めて袴を着せる儀式。
現在は五歳男児のお祝い。
振袖の長着と羽織のお対(おつい/セット)に
行灯袴(あんどんばかま/まちのないスカート状の袴)。
羽織はぼかし模様や絵羽模様(えばもよう/縫目にまたがる大柄な模様)の
黒羽二重の五つ紋付きを肩揚げします。
でも、貸衣装は家紋無しだったりします。
足元は白足袋に雪駄(せった)や草履。袴の紐も白。
守り刀(懐剣)を懐に差し、末広(白扇)を持ちます。
−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−
◇三歳
《髪置き》かみおき
幼児が頭髪を初めてのばす儀式。
三歳の男女児のお祝い。
現在発行のほとんどの着付けの本や貸衣装のカタログでは、
たいてい三歳女児の晴れ着は四つ身の振袖に兵児帯(へこおび)や三尺帯など
柔らかい帯を結び、その上に被布(ひふ)を着せます。
被布とは、着物の上に羽織る袖なしで丈の短い上着。前合せにおくみを付け、
丸衿を折り曲げ、胸を組みひもで飾りとめます。(下図参照)
足元は白足袋に、ぽっくりか草履です。
しかし三十年ぐらい前は、七五三で被布を着る女の子は珍しかったと思います。
昭和五十年ごろ発行の婦人雑誌の付録では、
「三歳女児の晴れ着は四つ身の振袖に中幅の祝い帯(簡単な文庫結び)」
となっていて、被布の「ひ」の字も出てきません。
いつどこで変わったんでしょうね。
男児の正装というと羽織袴なのですが、三歳の男児に袴を着せるのは
本来おかしいはずです。袴着が五歳ですから。
いろいろ調べたのですが、三歳男児の正装はよくわかりませんでした。
まあ、今どきそれほどこだわることもないでしょうが。
−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−
◆被布(被風・披風)(ひふ)
肩揚げ(子供用)
│ 衿(本当はもっと丸みを帯びている)
↓ ↓ ↓
______ ______
││ \ │────│ / ││←(袖なし)
││ \ │ │ / ││
││ \│ │/ ││
│ ∩ │ │ ∩ │
│ ∈◎∋├────┤∈◎∋←───飾り紐
│ () │ │ () │
│ ‖ │ │ ‖ │
│ ‖ │ │ ‖ │
┌┤ │ │ ├┐
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │ │ ││
││ │____│ ││
‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾
↑ ↑
襠(まち) 衽(おくみ)
(左右の衽が重なる)
着物の上にはおる防寒用の外衣。袖ありと袖なしがあります。
衿あきは四角く盤領(まるえり)がつきます。
前の衽(おくみ)を深く重ね、胸の左右を総(ふさ)付きの組紐でとめて着ます。
脇に襠(まち/ゆとりを出すための別布)つき。
江戸末期より剃髪・総髪の茶人や俳人などが着用。のち婦人・子どもの外出用。
もとは衿をたてていましたが、今は折り曲げて着用します。
●ごあいさつ●…………………………………………………………………………
こんにちは。マガジンのご登録ありがとうございます。
本当は大人の礼装の話をしてからのほうがわかりやすいでしょうけど、
やはり七五三の話は季節に合わせたかったので急ぎました。
羽織袴とか紋付とかの細かい話は大人の着物の話のときに詳しく解説します。
正月前には礼装の話をしてしまおうと思っています。
●アンケート結果●……………………………………………………………………
前々回にお願いしたアンケートの結果が出ました。
男性55人、女性103人の計158人の方に回答いただきました。
ありがとうございました。
質問: あなたは自分の七五三のお祝いに着物を着ましたか。
■(男)着物を着ました。 13人 (8%)
■(男)洋服でした。 14人 (9%)
■(男)年齢によって着物だったり洋服だったり。 3人 (2%)
■(男)七五三のお祝いをしませんでした。 9人 (6%)
■(男)七五三の記憶も記録も不明です。 16人 (10%)
■(女)着物を着ました。 67人 (42%)
■(女)洋服でした。 1人 (1%)
■(女)年齢によって着物だったり洋服だったり。 19人 (12%)
■(女)七五三のお祝いをしませんでした。 11人 (7%)
■(女)七五三の記憶も記録も不明です。 5人 (3%)
★協力:メールマガジンをおもしろくする《クリックアンケート》
→→ [ http://clickanketo.com/ ]
× × × × ×
女の子の晴れ着は圧倒的に着物が多いですね。
それに比べると、男の子の着物は少ないです。
我が家も、女の私は着物を着たのですが、男兄弟は洋服で祝ったので、
同じ家族でも男女の違いはあるだろうとは思いました。
私自身は、着物を着たのは三歳のときだけで、
親戚中を回っているお下がりの振袖を着ました。(被布はなし)
× × × × ×
ちょっと興味深いのは、男性は七五三の記憶が不明と言う人が多いですね。
女性は祝った祝わなかったが、わりとはっきりしているのに。
向田邦子さんのエッセイで、女性が自分の家の古い話をよく覚えているのは、
家族(母娘、姉妹)で雑談をするからだという話があったと思います。
男性は、自分の幼い頃の話を親から聞く機会が少ないのかもしれません。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
|
|
▲〈和服の基礎知識バックナンバー〉目次に戻る
▲〈メールマガジン〉に戻る