メールマガジン「和服の基礎知識」バックナンバー〈036〉

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
●                                 ●
○  ●○● 和服の基礎知識 ●○● 〜日本文化を愉しむために〜  ○
●                   第36号 2004/06/20発行   ●
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

———————————————————————————————————
【足袋】(たび)
———————————————————————————————————
◆足袋(たび)

和服を着た時、防寒・礼装用に足にはく、つま先が二つに分かれた
袋形の布製の履物。
親指と他の指が分れる形とし、かかとの合せ目を爪形の「こはぜ」で留めます。

わらじをはくときに足を保護するために着けた「草鞋掛(わらじがけ)」が
発達したものです。
「たび」の名は、もと、シカ・イノシシの一枚革で作った履物「半靴(はんぐつ)」
を「単皮(たんぴ)」と言った所からきたと言われます。

鎌倉時代末頃から、革製の足袋をひもで結んで用いました。
木綿製は江戸初期の1643年(寛永20年)頃から使われるようになりました。

古い時代は足首の部分の筒が長く、紐で結んでいました。
しかし正座をすると紐の結び目が当たって痛いため、江戸時代から現在のような
「こはぜ」が開発されたそうです。

江戸時代は武士は正装のため、職人は足の保護のため足袋を履きましたが、
それ以外の庶民は冬でも裸足に下駄や草履を履いていました。
素足でいるのは、束縛されず自由で粋だと言う主張だそうです。

現代では礼装には男女とも白のキャラコ製が一般的です。
男性は礼装以外の外出着・普段着は黒足袋・紺足袋を履きます。
女性は外出着はほとんど白足袋を履きます。
別珍などで作った色柄ものは家庭用の普段着、遊び着に履くこともあります。

表布と裏布を縫い合わせた二重構造になっています。
甲(足の上面)の部分は外甲と内甲に分かれています。
底に芯を入れて硬く型崩れしないようにしてあります。
表地は一般にはキャラコ。ほかに別珍、コール天、綾絹、羽二重など、
裏地は天竺木綿(夏)、ネル(冬)など、底地は雲斎などが使われます。

----------------------------------------------------------------------
◇こはぜ(小鉤・鞐)

金属で作った爪形の留め具。足袋の合わせ目を留めるボタンの役目をします。
「こはぜかけ」にかけてとめます。

こはぜはかかとの外側につけます。

こはぜの数によって足袋の深さ(足首の長さ)が違ってきます。
普通は4枚です。
こはぜの数が多いと立ち姿がきれいに見えますが、
正座をするときは少ないほうが楽です。

----------------------------------------------------------------------
◇こはぜかけ(小鉤掛け)

こはぜを掛けてとめるために取り付けたもの。
また、こはぜを掛けるようにした仕立て。

足袋のこはぜかけは、より合わせて太くした糸を二列に並べて、
内側のかかとに縫いつけます。

普段は二列に並んだ外側の列こはぜを掛けてしわを伸ばし、
足がむくんだら内側の列に掛けかえてゆるめます。

----------------------------------------------------------------------
◇文数(もんすう)

昔は足袋の大きさ(底の長さ)を「文」で数えていました。
もと、一文銭を並べて数えたところからきた単位で、
一文は一文銭の大きさ、約2.4センチです。
大きさは半文刻みで変わります。

つまり、25センチならだいたい十文半。

一昔前は、靴のサイズも文数で計っていました。

現代では市販の足袋もセンチで表示されています。

−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−+−
◆地下足袋(じかたび)

足袋をもとに考案された屋外労働用の履物。
「地下」は当て字で、直(じか)に土を踏む足袋の意から名づけられました。

甲が紺の厚手木綿、底やつま先がゴム製。つま先が二つに分かれ足の指を踏ん
張りやすいため、高所作業をするとび職などに愛用されます。また、あきが
こはぜ掛けなので着脱が便利になっています。

                      ×  ×  ×  ×  ×

今の地下足袋は、ブリヂストン創設者の石橋正二郎兄弟により考案されました。

石橋兄弟の家は元は九州・久留米の仕立て屋でしたが、
明治の末に兄弟が家業を継いで足袋製造専業に切り替え、経営を合理化しました。

大正10年(1921)、足袋の底に滑り止めのゴムを貼り発売しました。
九州の炭鉱労働者などに好評だったそうです。
さらにこれを改良し「張り付け式ゴム底足袋」として実用新案を出願し
「アサヒ地下足袋」として大正12年(1923)に発売しました。

地下足袋を売り出した大正12年の9月1日に関東大震災が起きました。
その復興作業に際して地下足袋が普及し、会社の業績も伸びました。

また、地下足袋と同じく大正12年に布製ゴム靴(ズック靴)の製造も開始
しました。
平成10年に倒産し現在経営再建中のアサヒ靴(アサヒコーポレーション)も
ここから繋がっています。アサヒ靴は昭和の頃、学童向けゴム靴で有名でした。

地下足袋、ゴム靴などのゴム製品の好調に、会社は次第に足袋製造より
ゴム工業に主力を置くことになります。
そして、昭和6年(1931)、ブリッヂストンタイヤ株式会社(現・ブリヂストン)
を創立し、純国産の自動車タイヤの製造を開始します。

〈石橋正二郎氏・参考サイト〉
http://www.ishibashi-foundation.or.jp/ishibashi_web_j/foundation/pr_01.html
財団法人 石橋財団/創設者 石橋正二郎氏のプロフィール

http://www.jahfa.jp/contents/ishibashi.html
日本自動車殿堂者/石橋正二郎

●ごあいさつ●…………………………………………………………………………

 こんにちは。マガジンのご登録ありがとうございます。

                      ×  ×  ×  ×  ×

 デパートではもう浴衣を売り出しています。
 真夏が来る前に浴衣の話も書きたいと思っています。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

〈和服の基礎知識バックナンバー〉目次に戻る
〈メールマガジン〉に戻る




[2006/06/16]
無断転載禁止/リンクはフリーです
Copyright(C) 2001-2006 詞己 All rights reserved.